【あなたは覚えていますか?】
子供のころに、誰もが一度は思ったことのある「問い」、あなたは、まだ覚えていますか?
「世界とは何だろう?」「私は誰なんだろう?」「どうして今ここにいるんだろう?」
あなたを含め、多くの人々が考えました。
それも、紀元前数千年もの大昔から、人類はこの答えを求め続けてきました。
この問いが「哲学」の始まりであり、その答えは「哲学」の終わりとも言えます。
そして、答えは出ていません。人類はまだ子供のままです。
それでも、人類は多くのことを学び成長してきました。
この自然世界を支配する「法則」を発見し、応用することで、現代文明は成り立っている。
いま、あなたの目の前にあるパソコンやスマホが世界中と繋がっているという奇跡も、その一つです。
【哲学のアイデンティティ】
「哲学」の思索と、それ以外の思索を分けるもの、つまり「哲学」のアイデンティティとは、どんなものでしょうか?
誰かが「AはBである」という時、そこに「何故そうなるのか」という「機序」「理由」が付されるなら、それは「哲学」の思索といえます。
何故なら、「哲学」は「自然世界の原理を、理性によって求めようとする学問」であり、「理性」とは「物事の道理を考える能力」であり、「道理」とは「物事の筋道」であり、「筋道」とは「機序」「理由」を意味するからです。
【哲学と科学と宗教】
「学問」と呼ばれるものの全ては「哲学」から派生したものと言っても過言ではありません。
現代科学の最先端と言われる「量子力学」も元をたどれば「哲学」に行き着きます。
これに対して、宗教や神話は「哲学」とは異なります。
宗教や神話が「自然世界の原理」を説明しようと努力している点では「哲学」と方向は同じかも知れませんが、そこには概して「理由」説明が無いという点において「哲学」とは決定的な違いがあります。
つまり、少し乱暴な言い方がゆるされるのであれば、「宗教や神話」は「信じる」ことに意味があり、哲学(学問)は「理解する」ことに意味があると言えるでしょう。
そして、その真性は自然世界の振る舞いとの整合性から確認することができます。
このブログでは、今や存在感の薄くなってしまった「哲学」の持つ、本来の輝きを、あなたと共に見ていきたいと思います。
Comments