【無意識・意識・自我】
ここまでのブログの内容を理解された「あなた」なら「あなたが何であるか」を考察する準備ができています。
では、順を追って考えていきましょう。
まず、「意識」のないことを意味する「無意識」を考えてみます。
全ての物質は量子の組み合わせ、あなたの身体も同じです。
よって、当然に物質は「無意識」の状態にあります。
「無意識」である物質は、全ての宇宙の「重ね合わせ」=コヒーレント状態にある。
よって、「無意識」の領域はコヒーレント状態にあると言えます。
4次元時空の中で動的平衡を保つ生命体は、物理法則に従う物理現象の一つに過ぎません。
あなたの身体も常にコヒーレント状態の中で、機械的に作業を行う、純粋な物質です。
そうであれば、身体の生命活動の中でコヒーレンスな量子特性が現れるのは当然です。
また、物質の視座から見る「時間」は、3次元空間と何ら変わる事のない座標系に過ぎず、時間0→∞の全ての時間をいっぺんに総覧しています。
つまり、物質である「あなた」の中の「無意識」は、遥か昔から遠い未来までを、しかも、全てのパターンの宇宙を総覧していることになるのです。
あなたの視座からは、「無意識」の住処は「感覚器官」「第一の脳」「第二の脳」ではありますが、非局在性を有する「無意識」の視座からは自らが限定される場所などないのです。
これに対して、「意識」は神経細胞を持つ生命だけに生じるクオリアであり、物質ではなく、物理現象。
あなたは、この「意識」を通じてのみ、初めて世界を感覚することができます。
但し、世界を直接的に感覚するのは「無意識」の領域であり、「意識」は「無意識」の情報の一部から「脳内世界モデル」を構築し、その世界を感覚しています。
また、「意識」は、一つのパターンの宇宙の一つの時間と場所しか感覚できないシステムであるため、「意識」の視座から見る世界は常にデコヒーレンスな世界となるのでした。
この「意識」の住処も、あなたの視座からは「第三の脳」ではありますが、「意識」の視座からは「脳内世界モデル」が世界の全てであり、その中において自らが限定される場所などありません。
そして、「脳内世界モデル」にある過去から現在に至る「意識」の情報を総覧する時の連続的感覚が「自我」でした。
この「自我」に至って、あなたは、その小さな身体の中に納まっている「あなた自身」を見つけ出すことになります。
ここで「無意識」「意識」「自我」についてDVDを例にして考えてみましょう。
ここに、「宇宙の全ての情報」が記録されたDVDがあります。
あなたは、DVDの内容をディスプレイ上の映像として見ることができます。
この時のDVDが「無意識」に相当します。
ディスプレイに映し出された映像が「意識」です。
その映像を見ている「あなた」が「自我」に相当します。
このDVDの中には、この世界の全てが「動きのない情報」として詰まっているわけですが、ディスプレイに流れる映像は、その一瞬一瞬の画像を切り取ることしかできません。
そして、その一瞬一瞬の画像を連続的に見ることによって、あなたはDVDの内容を「動きのある動画」として認識することができるのです。
【あなたとクローン、そして「あなた」】
言うまでもなく、あなたの身体は「あなた」の構成要素ですが、もしも、事故によって、それらを失ったとしたら・・・
あなたは消失するのでしょうか?
医療や科学技術の進歩により、人体の多くのパーツを人工的に作ることができるようになってきました。
近未来において、身体機能を代替する技術が完成していれば、あなたは消失せずに済む可能性があると言われています。
本当にそうなのでしょうか?
仮に、人体のクローン化技術が完成して、「あなた」の全ての情報を完璧にコピーできたとしましょう。
あなたは消失する直前に、この完成された「あなたのクローン」と対面できたとします。
その時、そのクローンを「わたし」と呼ぶことができるのは「あなた」でしょうか?
それとも「あなたのクローン」でしょうか?
そうです、これは技術力の問題ではないのです。
コピーは、どんなに完璧なものでも、コピーに過ぎない。
オリジナルにはなれない。
しかし、そのクローンにとっては自身がオリジナルだと思っているはずです。
いいえ、あなたを含む全ての人も、ある意味、クローンと同じようなものでしょう。
何故なら、そのルーツをたどれば、同じ生命体に行き着くのですから。
但し、「あなたの住む宇宙」と全く同じパターンの宇宙にいる「あなた」の話と混同しないように注意しましょう。
この場合の二人の「あなた」はコピーされたものではなく、どちらもオリジナルです。
それにしても、「あなた」と「クローン」を分けたものは何でしょうか?
そして、その答えこそが「あなたの本質」ではないでしょうか?
「あなた」が「クローン」と対面した時のことを思い出してみましょう。
「あなた」は「クローン」のことを「わたし」とは言えなかった。
何故なら、その「クローン」を見ている「わたし」が自分の中に感覚されているからです。
その感覚は過去から連綿と続く「意識」の束を総覧する「自我」に他なりません。
そして、「意識」は「無意識」の一部分を切り取って加工したものですから、「意識」自体は「無意識」と「自我」を繋ぐ装置に過ぎません。
そうであれば、「あなた」の本質は次のように定義されることになります。
「あなた」とは「無意識と自我」の共生状態のことです。
【あなたの中の戦争】
コヒーレントな「無意識」の領域は物質の世界そのものです。
特別な物も、特別な場所もない、観測する主体も、観測される客体もない一様な世界です。
よって、「無意識」には主体がなく、唯々、物理的物質やエネルギーが自然法則に従い時間軸上で現象されるだけです。
ところで、あなたの身体をプログラムするDNAも「無意識」の物質ですが、そこには「種の保存」を指向するシステムが働いています。
よって、DNAは「無意識」の領域から「あなた」のする判断や結果としての行動について「種の保存」に適合するようコントロールしています。
もちろん、DNAが何かを思考して命令を出しているということではありません。
あくまで、物質が自然法則に従って現象する結果が「種の保存」に適合するような仕組みがDNAの組成の中にあるという意味です。
一方、「自我」には「あなた」という主体があります。
「自我」は「脳内世界モデル」にある過去から現在までの情報を元に未来に発生する環境を予測しようとします。
それは、「あなた」の個体が未来の環境の変化に適応しようとするものです。
つまり、「自我」は「個体の保存」を指向しています。
「種の保存」と「個体の保存」、両者の指向する結果としての行動が一致する内はいいのですが、それらが相反することが時々起こります。
ここに、「あなた」の中で「無意識」VS「自我」の戦争が勃発します。
「アリとキリギリス」の物語で例えてみましょう。
アリは毎日毎日、一生懸命に働きます。
アリは考えていたのです。
「冬が来たら、食べ物が無くなってしまう、今のうちにいっぱい蓄えておこう」と。
しかし、そんな考えを知らないキリギリスはアリをからかいます。
「こんな陽気のいい日に遊ばないのは勿体ない、食べ物なんていくらでもあるのに」と。
そして、冬が来て・・・。
説明するまでもなく、キリギリスが「無意識」で、アリが「自我」です。
この場合、キリギリスの「無意識」は「種の保存」を指向するがゆえに身体を酷使するような労働を回避させようとしたと解釈できます。
確かに、舞台は食べ物がいっぱいある季節ですから、遊んで身体を休息させてもいいかも知れません。
例え、それが未来においてキリギリスという「個体」の死を招くものであったとしても、キリギリスは彼だけではありませんから。
もっと優秀なキリギリスであれば、何らかの方法で生き延びるでしょうし、「種の保存」にとっては、その優秀なキリギリスの遺伝子を残すことの方が目的に適うことでしょう。
アリの「自我」は「個体の保存」を指向するがゆえに、「冬には食べ物がなくなる」という未来の環境を予測した結果、身体を少し犠牲にしてでも、「個体」が無事に冬を越せるよう、労働することを選択させたと解釈できます。
これと似たような経験は「あなた」も頻繁にしているのではないでしょうか。
「頭では理解しているが、やめられない」という、よくあるタイプの経験です。
この「種の保存」と「個体の保存」は多くの場面で衝突しますが、両者が一致する場合があります。
それは、「種の保存」にとって、その個体を保存することが有利に働く場合です。
詳細については、後ほど考察していきます。
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