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執筆者の写真K.Matsui

不安の正体

【完璧な計画はできない】


「あなた」は、どんな「人生設計」を描いているでしょうか。


「あなた」にとって「計画」は、とても大切なものです。

何故なら、「あなた」に与えられた「時間」は限られているからです。


「時間」だけではありません、一生のうちにコントロールできる「人的資源」「物的資源」「経済的資源」も有限です。


このように限られた資源を、限られた時間の中で上手に配分して「快」を最大限に得ることが「あなた」の「幸せ」ではないでしょうか。


ところで、何かを「計画」しようとする時、無くてはならない要素が「情報」です。


例えば、「あなた」は次の連休に「旅行」を計画しようとしています。


まず、考えなければいけないことは予算でしょう。これがなければ何も始められません。

次に、同行者の決定。これによって一人当たりに使える予算がわかります。

一人当たりの予算がわかれば、旅行の日取りが決められるでしょう。

また、旅行の宿泊施設、巡る観光地や経路を決めていきます。

そして、持参品を準備すれば、後は楽しみに、その日を待つだけです。


さて、この例では「予算」「同行者」「日程」「宿泊施設」「観光施設」「交通手段」「持参品」など、「計画」に必要な数々の「情報」がありました。

そして、これらの「情報」がなければ、「あなた」は「計画」を立てることができません。


但し、これらの「情報」は「不完全」なものです。

例えば、「宿泊施設」「観光施設」を選択するに当たって「あなた」は旅行のポータルサイトで選択肢を探していました。

しかし、実際にはポータルサイトに掲載されていない施設も沢山あったはず。

あるいはポータルサイトでの検索の仕方によっては、「あなた」が見逃している情報もあった可能性があります。


他の「情報」も同じような要領で考えれば「完全」ということはないはずです。


このように、「あなたの自我」の計画能力には常に限界があるのです。

情報を収集する能力の限界、また、収集した情報を処理する能力の限界があります。


更に、その「情報」は「あなたの自我」の「現在」における「情報」です。

「あなたの自我」を取り巻く環境は刻一刻と変化していきます。

「計画」は常に「未来を思考する」ことですが、思考の材料は「現在の情報」に限られるわけです。しかも「不完全」な状態で。


この例のように「次の連休」くらいの近い未来であれば、環境変化も限定的です。

恐らくは、「あなた」が宿泊する予定の旅館も、まだ存在していることでしょう。

しかし、「50年先の連休」ともなれば、その旅館の存在は誰も約束してくれません。


つまり、「計画」において、その時間的範囲が増大すると、「情報」の確度が低下します。


不安を抱える人

【自我の未来予測】


次に、「計画」という言葉を「未来の予測」に置き換えて考えてみましょう。

言葉は違いますが、その意味するところが大きく変わることはないはずです。


「現在の情報」を基に「未来の予測」をする場合、「現在→未来」における環境変化の情報が欠落するなどの「情報の不完全性」、また、「情報処理能力の不完全性」により、その「未来の予測」もまた不完全なものになるというのが、ここまでの考察でわかったことです。

それでも人は常に未来を想像、あるいは、仮定しながら生きているように見えます。


例えば、「あなた」が幼い頃、親がキッチンに向かえば、食事が出てくることを想像していました。

朝、幼稚園のバスに乗せられた時も、夕方には、ここに戻ってくることを想像します。

学校が始まっても、夏休みが来ること、やがては卒業することを想像できました。

今では、数十年先の年金の受取額まで想像できるかもしれません。

人は何のために「未来の予測」をするのでしょう?


「あなた」は「無意識と自我の共生体」です。

「あなたの無意識」は「非局在性」を有し、「現在」という時間感覚を持っていません。

これに対し、「意識」の連続体である「あなたの自我」は「局在性」を有し、「現在」を感覚します。

そうなると、「未来の予測」は「あなたの自我」が行っていることになります。


更に、「あなたの自我」は「個体の保存」を指向するために論理的に「未来の予測」を行って、「個体の保存」可能性を増大させる方向に誘導するのでした。


つまり、「現在」を認識し、かつ「未来の予測」を行っているのは「あなたの自我」であり、それは「個体の保存」という目的のために行われています。


「あなた」という主体を認識することができるのは「あなたの自我」だけです。

例え不完全な「未来の予測」であっても、今のところ、これに頼るしかなさそうです。

しかし、その不完全性は「将来への不安」という形で「あなた」を悩ませることになります。


【将来の不安】


人は人生の中において悩み事が絶えません。

「あなた」も将来に何かしらの不安を抱えている事でしょう。


例えば、「あなた」には老齢な親がいます。

今は元気で健康ですが、「もしも」急に倒れたら、今の生活はどうなるのだろう?


「もしも」親が寝たきりになって24時間介護が必要になったら。

「もしも」そんな時に、私が倒れたら。

そして、「不安要素」は病気に限らず、お金の事、仕事の事、突き詰めていけば、この国の未来まで、際限なく広がっていくことになるでしょう。


このように、「あなたの自我」の「未来の予測」は「もしも~だったら」という仮定構文の形をとります。

その原因は、「情報と処理能力の不完全性」にあります。

これが「不安」の正体です。

人は到来していない「未来」について不安を感じ悩むのです。


ここで「自我の不完全性」について、もう少し掘り下げて考えてみましょう。


「あなたの自我」は「あなた」の「脳内世界モデル」を総覧するクオリアでした。

その「情報」の源泉は「脳内世界モデル」しかありません。

「脳内世界モデル」は「あなたの意識」の集積物です。


その「意識」の「情報」の源泉は「無意識」ですが、「意識」は「局在性」を有するクオリアですから、その情報は極めて部分的です。

これが、「情報の不完全性」の本質的要因となります。


また、「あなたの自我」の視座からは、「自由裁量」の余地がありますが、裁量の対象となるのは「∞個のパターンを持つ宇宙」です。

しかし、「局在性」を有する「あなたの自我」が全てのパターンを認識することは不可能です。

これが、「処理能力の不完全性」の本質的要因です。


そうなると、「あなた」は将来の不安から解消されることはなく、「あなたの自我」の「未来の予測」が最適解となる偶然を期待するしかないことになります。


一方、「あなたの無意識」は「非局在性」を有するため、「今ここ」ではなく、全ての時空に広がっている存在でした。

つまり、「あなたの無意識」には全ての完全な情報があるのです。

「あなたの人生」として実現可能な全てのパターンについての情報も、そこにあります。


仮に、「あなたの無意識」と「あなたの自我」が互いに連絡を取り合うことができるとしたら、問題は解決するように見えます。


最近、インターネット動画や本に、量子力学を絡めた「引き寄せの法則」、また、「潜在意識」「次元上昇」などのタイトルをよく目にします。

これらの要旨は総じて、「無意識」への接近にあるようです。

あるいは、仏教においても方向性は同じように見えます。


しかし、残念ながら「無意識」と「自我」には直接的な接点がなく、また、デコヒーレント状態である「自我」の定義上、コヒーレント状態の「無意識」と直接的に連結させることは物理的矛盾を孕むことになります。


やはり、「将来の不安」から逃れることはできないのでしょうか?


いいえ、「あなた」は「無意識と自我の共生体」です。

「無意識」も「あなた」なのですから、方法はあるはずです。


次回は、「無意識」と連結する可能性のある「第四の脳」について考察します。


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