【物量としての「∞」】
数学では、「数字が際限なく大きくなる状態」のことを「∞」という記号で表現します。
「∞」は「数」として認められていません。
物量を表す「大きな数」として有名な「無量大数」や、更に大きなグラハム数が知られていますが、それらに比べて「∞」は更に大きな値でなければならない。
いや、「値」ではなく「状態」というべきでしょうか。
何故なら、「∞」は「物量」ではないとされているからです。
「光速不変の原理」と同じように、「∞」に何かを足しても「∞」のままです。
「光速」は、あなたの住む宇宙の限界速度ですが、そうなると、「∞」は、限界量?
いや、違う。「∞」は量ではない・・・何かがおかしい。

【順序としての「∞」】
「数」は物量を表すと同時に「順序」を表すものでもあります。
そして、その順序の始まるところである「起点」は「0」でした。
そうであれば、「∞」は「数」の「終点」ではないでしょうか?
ここで、前回は宿題となっていた、「物量が無い」状態を「数」として認めていいのか? という問題について詳しく考察していきましょう。
「0」は「物量が無い」状態であるため、「物量を表すことができない」とも考えられます。
これに対して、「あなた」は「何も無いという物量を表しているじゃないか!」というかも知れません。
よく考えてみましょう。
このような「物量が全く無い」ものを「数」とするなら、その反対側にある「全ての物量が有る」という意味での「∞」も認めなければなりませんね。
「あなた」は「∞は物量の大きさを特定できないじゃないか!」と言うでしょう。
しかし、「あなた」は「0」について「何も無い」状態を物量として認めたばかりです。
そうであれば、「全てがある状態」も物量として認めなければなりません。
そうです。
「あなた」の言う通り、「0」も「∞」も本来は同じカテゴリーにある「物量」なのです。
しかし、現代の数学界は「0」だけを数と認め、「∞」を認めていません。
この不整合により、「0」の演算については様々な「無理」が生じることになりました。
「∞」が「数」として認められない理由は、長い間、「0」が「数」として認められてこなかった原因と同じようです。
「0」が数学上、大きさ(物量)を持たない「点」とされるのに対し、「∞」は全ての物量を含む「場」なのではないでしょうか。
【パラダイムシフトの必要性】
あなたは、概念上、「果てしない状態」を考えることができるでしょう。
物理学においても、宇宙が「∞」であることが強く示唆されています。
そう、「∞」は自然の中に実在しています。
それにもかかわらず、人類は「∞」というものに「数」としての資格を与えることができない。
それは「∞」の定義に由来する、一種の観念的制限が掛かっているかのようです。
かつて、「0」が数字として認められるまでの困難な経緯と同じように。
日本人の数学者が「ABC予想」に関連して発表した「IUT理論」というものがあります。
数学の思想上の転回をもたらす「未来からきた論文」とも言われているそうです。
あまりにも斬新な数学理論であり、理解できる人が殆どいないという点で「一般相対性理論」の経緯にも似ています。
この理論の正しさの判断は100年後の人類に任せるとして、「今までと違う手法を使用している」というだけで排除するのは間違っています。
数学界を支えている方々へ注文します。
そろそろパラダイムシフトが必要なようです。
既成概念に捕らわれることなく、新たな数学体系の構築をお願いします。
新しい概念を紡ぎ出そうとする勇敢な挑戦者を排除することなく、むしろ彼らを歓迎すべきです。
自然の仕組みは人知を超えている。人類は時間をかけて、これを理解し始めました。
現代のガリレオ達は言います。「それでも地球は回っている」