【瞑想】
世界の三大宗教に数えられる「仏教」は、「悟り」を得ることで生きる苦しみから解脱することを目指します。
「悟り」を得る一つの方法が「瞑想」です。
最近では、宗教色を除いた健康法としての瞑想「マインドフルネス」が流行りのようです。
「瞑想」は「無我の境地」を目指すもの。
「無我」とは呼んで字の如く「自我」を無くすこと、更には「意識」すら最低のレベルに落として「無意識」に近づけようとするものです。
どうやら「瞑想」は、本来は存在しない苦しみを抱くところの「あなた」を消去して、そこに生きているだけの、ありのままの「あなた」に戻そうとするもののようです。
つまり、「瞑想」とは、あなたの視座を「精神的な存在」から「物質的な存在」へ移行させる手段と言えます。
【物質世界と無意識の世界】
このブログでは、物質が「一つのパターンの宇宙の一つの時間と場所に存在する」性質を「時空局在性」と呼ぶことにします。
また、逆に「0→∞の全てのパターンの宇宙の重ね合わせ、かつ、0→∞の全ての時間と場所に存在する」性質を「非時空局在性」と呼ぶことにします。
さて、この世界は数量的に「∞」個の宇宙の重ね合わせであり、それらは互いに打ち消し合って、総体としては「0」になる存在でした。
あなたも、あなたの住む宇宙も、他のパターンの宇宙も、ありとあらゆるものは全て「重ね合わせの状態」がスタンダードです。
そして、一つの次元である「時間」は勝手に未来方向へ進むものではなく、静的な時間軸が存在しているということでした。
そうなると、「物質」の視座からは、0→∞の全てのパターンの宇宙と、やはり0→∞の全ての時間を一度に見ていることになりませんか?
もちろん、「意識」以外は「観測」の機能を持たないため、実際に「見ている」わけではありませんが、少なくとも、それらの情報を知る立場にあるのです。
このように、物質世界には、過去・現在・未来を分けるものもなく、様々なパターンをわけるものもなく、唯々、この世界の全てがそこに有るだけ。
つまり、物質世界は「非時空局在性」を持っています。
ところで、このブログでは「意識の無い状態」を「無意識」と定義したのでした。
よって、物質は全て「無意識」の状態にあり、「物質世界=無意識の世界」と言えます。
つまり、あなたが「意識」から「無意識」に近づくということは、物質世界のスタンダードな状態へ回帰することを意味します。
【あなたの中の無意識】
自動車で帰宅する一時間の道すがら、「今晩の夕食は何にしようかな?」「冷蔵庫に何があったかな?」「そういえば、小麦粉がそろそろ無くなるな」「そうだ、今日は野球の試合のテレビ中継をチェックしなければ」・・・。
そんなことを考えているうちに、気が付いたら家に着いていた。
あなたが日頃から自動車を運転する人であれば、よくあることですよね。
しかし、「自動車の運転」を始めたばかりの頃は、アクセルやブレーキを踏みこむ強さやタイミング、ハンドルの操作、周囲を走る自動車との間隔など、自動車の運転に関する様々な事柄で頭がいっぱいだったはず。
「気が付いたら・・・していた」と言う時、それらを実行したのは「あなたの中の無意識」です。
歩くことことも、寝返りを打つことも、食べ物を噛んで飲み込むことも、消化することも、一々考えながらしているのではなく、あなたの身体が自動的に行っています。
あなたの身体には視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚に加え内臓感覚と加速度を検知する三半規管など(未だ発見されていない感覚もあるかも知れません)の「感覚器官」が装備されています。
これら感覚器官からの入力情報の殆どは、あなたの「意識」に上ることなく、「無意識」下で処理されて、神経系のしかるべき場所からしかるべき器官へ電気信号やホルモン分泌などの手段を通じて指示を出力しています。
まさに精密機器です。
ところで、あなたの身体も、その一部である感覚器官も「物質」であり「非時空局在性」を持つ状態がスタンダードです。
そうであれば、「あなた」の構成要素である「無意識」の世界は「非時空局在性」を持つことになります。
そう、あなたの中には「無意識」という名の「この世界の全て」が有るわけです。
ありとあらゆる時空が混在する最も騒がしい世界を見ることになるでしょう。
しかし、更に、その外側からの視点に視座を移せば、総体としては「0」。
つまり、「無」という静寂しかない世界を見ることになります。
但し、実際にあなたが、無意識の世界を見ることはありません。
何故なら、「無意識」は「意識の無い領域」であり、あなたは「意識」に上ったものしか見ることができないからです。
それでも、「無意識」近づく時があります。
あなたも毎日体験していることです。
それは、あなたが眠りに落ちる直前と眠りから覚める直前。
あるいは夢を見ている時も、それに近いかも知れません。
「瞑想」は、その状態を意識的に再現しようとするものです。