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  • 執筆者の写真K.Matsui

∞=0

更新日:2023年4月30日

【集合としての「∞」】


「∞=0」・・・決して、ふざけているのではありません。

もちろん、現在の数学の枠組みでは許されない表現ですが。


数学上は、∞にも種類があるようです。

「+のみの∞」「-のみの∞」「奇数を要素とする∞」「偶数を要素とする∞」・・・

そうなると、ある種の「∞」の集合は、他のある種の「∞」の集合よりも大きかったり小さかったりします。

しかし、このブログで特に説明が無い時の「∞」は、「全ての要素を含む」という意味の「∞」とします。

「∞」が「限り無いもの」とすれば、そこには「全て」が含まれなければならない。

そう、「全て」です。

何かしらの制限下におかれた「∞」は、無制限に「全ての要素を含む∞」とは区別すべきです。

「0」に種類が無いように、本来的な「∞」も、そうあるべきです。

少なくとも、このブログにおいては、「∞は全ての要素の集合」と定義することとしましょう。


この場合の「∞」の集合には「全て」の要素が存在するため、ある一つの要素と±が逆の符号を持つ要素が必ず存在することになります。

つまり、∞を「全ての要素の集合」だと定義するなら、それは「互いに打ち消し合うものの集合」でなければならない。

そうであるならば、この集合の要素の総和は必ず「0」になるはずです。


この時、「∞」の集合の中にいる「あなた」から見れば、そこには際限なく広がる世界が見えるでしょう。

しかし、もしも、この集合を外側から見ることができれば、あるいは特定の次元の視座からは「何も無い」状態を見ることになるはずです。

つまり、「∞=0」


禅の庭


【「存在」の要件】


何かが「存在」するためには、それを打ち消すような反対側の「存在」が必要です。

東洋の「陰陽思想」ではありませんが、「日なた」があって初めて「日陰」が認識できる。

「表」という概念は、「裏」という概念と切り離しては存在しません。

「+」と「-」、「有」と「無」なども同じように考えることができます。


そして、「存在」と、反対側の存在が重ね合わせの状態は、その外側からは「何も無い」状態に見えることになります。

あるいは、外側から見る「何も無い」状態の中には、常に「存在」と、それを打ち消す「存在」の重ね合わせ状態であるともいえます。


つまり、「存在」は、それを認識(観察)する「あなた」の位置が、その内側にあるか、外側にあるかによって見え方が異なるということです。


【自然はシンプル】


あなたは不安に思っているかも知れません。

何故なら、他の似たようなテーマを掲げるブログの多くは、難しい物理学の方程式やら数学の公理の記載があり、科学的な正確性をもって解説しようとしている。

しかし、このブログには学者の名前も計算式も出てこない。


もしも、あなたが数学や物理学をマスターしているのであれば、このブログの内容に対して誤りを指摘したいところが多くあるはずです。

しかし、このブログは、既存の学説の解説ではなく、それらの考え方の矛盾を指摘し、既存の枠組みに革命を起こそうとする試みです。


あなたが数学や物理に興味があれば、それを「学ぶ」ことは重要ですが、そこに疑問を感じ自分の頭で「考える」ことは、より以上に重要なことではないでしょうか。


既存の学説に疑問を感じたからこそ、「地動説」「相対性理論」「波動関数」など、現在の科学を支える新しい理論が次から次へと産み出され、人類の文明は発展していくのです。


数学も物理学も、そして哲学も「真実を追求する学問」であるという点で、その根源は一緒であるはず。

それらは古代から現代に至るまで、目覚ましい発展を遂げてはいますが、未だ完成されてはいません。


そして、人間社会の諸事情によって小さな世界に留まろうとする傾向が現れます。

このような固定的な状態を打破するのは、大抵の場合、その世界のことを知らない者か、その世界に属しながらも敢然と反旗を翻すマイノリティ達です。


ある物理学者は言います。

「自然はシャツに書けるほどシンプルなルールでできているはずだ」と。

科学の歴史も、その方向性を証明しています。

このブログが標榜する「新哲学」は、その方向性の上に立ち、各学問の連結環となり触媒の役割を果たすことになるでしょう。

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