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  • 執筆者の写真K.Matsui

ホルモン戦争

更新日:2023年4月30日

【開戦】


「また増えていくテストステロン ホルモンの戦争に勝って検証」

「連日 ホルモンの戦い また始める」


ある世界的ポップアイドルグループの楽曲「ホルモン戦争」の一節です。

第二次成長期に入った少年が、異性に興味を持つことが「成長ホルモン」の分泌によるものと知りつつも苦悩する様子を描いています。


情緒を欠いた表現が許されるならば、これは「無意識」にある展張欲の作用を表します。


展張欲は「種の保存」可能性を展張させるための「食欲・性欲・睡眠欲・承認欲」などの「本能」の一部。

特に「性欲」は「種の保存」に直結する強力な「本能」です。


歌詞に登場する「テストステロン」などのホルモンは男性らしさを構築し、発情ホルモンによる生殖行動の下地を作ります。

これらの展張欲に付随するホルモン分泌は「意識」にのぼることなく、「無意識」の領域で自動的に行われています。


つまり、少年の「自我」は、自分の中にありながらコントロール不可能な「無意識」と戦っているわけです。


もしも、少年が「ホルモン戦争」に負けてしまうと、相手の心を傷つけ、最悪は犯罪者になる可能性すらあります。

少年の「自我」は、それら将来的に起こる危険を論理的に予測して回避行動を起こします。


この状況を、もう少し掘り下げて考察してみましょう。


「無意識」は、生命体の設計図である「DNA」にプログラムされた「種の保存」に最適化された判断を下します。

しかし、そこには「生命個体」としての少年の立場や未来を意図する余地はありません。


よって、乱暴な言い方をすると、少年のその後の人生がどうなろうと「生殖行動」の機会を捉えれば実行に移す。それが、「無意識」にある「本能」の基本的なスタンスです。


「DNA」は物質ですが、その本質は「情報」です。

これまでの生命の歴史を俯瞰した時、原初の生命から「少年」に至るまで、一度も途切れることなく、この「DNA」が少しずつ内容を進化させながら受け継がれています。

その様は、「一つの生命」が「個体」を乗り換えながら生き続けているようにも見えます。


これに対し、「少年の自我」は「少年」という「個体」だけにしか存在できません。

よって、「自我」は、現在だけでなく将来における少年の存続にとって最適化された判断を下そうと頑張ります。


概して、「自我」は人間的であり、「無意識」は動物的です。

それは、人類以前の「古い脳」から「無意識」が生じ、「古い脳」に覆いかぶさるように発達した「新しい脳」から「自我」が生じていることを考えれば当然かも知れません。


「ホルモン戦争」の戦場は、両者が共生する場所である「あなた」の中にあります。

よって、どちらが勝っても少なからず「あなた」は傷つくかも知れません。

両者が戦うことなく、平和に共存する方法はないものでしょうか?


悩める青年

【和平会議】


ここで、「無意識」と「自我」が「和平」について話し合う機会をもったとしましょう。


「無意識」は言います。

我々は、「あなた」という「個体」を「種の保存」という目的のために現象させたのであり、「あなた」は、その「目的」に従わなければならない


「自我」は言います。

『私は、そのような目的は知らないし、あなた方の所有物でもない』

私は、この「個体」以外に居場所がないので、「個体の保存」をしなければならない


両者の意見は何処までも平行線を辿りそうなので、「自我」が妥協案を提案します。

『では、何かしらの判断が必要となる状況に際して、あなた方の目的である「種の保存」のための判断結果に、私の目的である「個体の保存」のための判断結果を一致させるというのはどうだろうか?』


「無意識」は上機嫌で答えます。

『それなら問題ない』


どうやら、両者の和平案は整ったようです。


もちろん、「無意識」と「自我」が会話することはありませんが、両者の力関係はこの会話の通り「無意識」>「自我」です。


何故なら、「無意識」は文字通り「意識の無い状態」なので、「自我」との直接的な接点を持たずコントロールができないこと、そして「あなた」が必要とする「幸福感」や「達成感」などの「感情」は全て「無意識」の領域にあるため、「あなた」は「無意識」に迎合せざるを得ないのです。


では、「種の保存」と「個体の保存」が一致する場合とは?


【終戦】


まず、「種の保存」とは、ある種類の生命群の存続を、時間軸上の未来方向へ維持することを意味します。

このブログにおいては「人類」という生命群を念頭に置いています。


一方、「個体の保存」とは、ある種類の生命群を構成する要素としての生命体単体である「個体」を、時間軸上の未来方向へ維持することを意味します。

このブログにおいては「人類」の要素である「個人」を念頭に置いています。


「無意識」が「人類の存続」に貢献しない「個体」を切捨てるのは当然です。

そうであれば、これに貢献する「個体」であれば、切捨てられないことになります。


それでは、「人類の存続」に貢献する「個体」とは何でしょうか?

文明の発展に寄与するノーベル賞受賞者?  経済をリードする企業家?

それとも、各国を代表する政治家でしょうか?


しかし、それらが「人類の存続期間の延長」に寄与したか否か、現時点ではわかりません。

「原子力」の研究が「核の脅威」に繋がった事実などを考えればわかりやすいでしょう。


確実に言えることは、「人類」が存続するには、その外部および内部環境の変化に適応する必要があるということです。


つまり、自然条件の変化や新たな細菌による攻撃などの外部環境の変化に適応しなければ「人類」は滅亡してしまいます。(例えば、地球規模の気象変化やウィルスの脅威)


また、社会の組織崩壊や国家間闘争などの内部環境の変化に適応できなければ「人類」は自死してしまうでしょう。(例えば、悪意的AIの出現や核の脅威)


「人類」に限らず「生命体」は、このような環境の変化に対応するために「多様化」戦略をとってきました。

正確に表現するなら、「多様化」したことにより生き残ることができたということです。


そうであれば、「人類」もまた、「多様化」することによって環境の変化に対応し生き残ってきたはずです。それは「人類の存続期間の延長」に直接的に寄与するものです。


「多様化」とは「質的に均一の集団の中で、各個体の様式や傾向が、平均から離れて多くの種類に分かれていくこと」


そして、「人類」において「多様化」は「DNA」レベルで行われてきました。

「あなた」の「DNA」は、あなたしか持ち得ません。(一卵性多胎児とクローンを除く)

個人は生まれながらにして「多様化」の産物と言えます。


しかし、一方で「人類」は「画一化」を求めます。


「社会」は画一的な教育システムの中で、同じ思考、同じ能力を持つマシンのように、ステレオタイプの「個体」を大量生産します。

社会の安定や生産効率の観点から、代替品に切り替え可能な、多くの「均質な個体」が必要だからです。


「多様化」と「画一化」は真逆の方向であり、一見したところ矛盾するようにみえますが、そうではありません。


基本となる「均質な個体集団」の中に「多様化した個体」を含ませることで、いざ環境変化により「均質な個体集団」が全滅しても、「多様化した個体」が生き残る可能性を残すことで「人類の存続期間の延長」に寄与するからです。


そうであれば、「あなた」が代替可能な「均質な個体集団」ではなく、「多様化した個体」の一つとして生きることができれば、それは、「種の保存」と「個体の保存」の両方の目的を満足させることになります。


例えば、「あなた」にとって、お気に入りのファッションがあるとします。

友人に言わせると、そのファッションは「奇抜」で「ダサく」て「理解不能」だそうです。

でも、「あなた」には「新鮮」で「クール」で「あるべきもの」と思えてなりません。


この時、「あなた」には二つの選択肢があります。

一つは、「人からダサいと思われるのが嫌だ」「人と同じファッションなら溶け込める」という理由で、お気に入りのファッションを封印し、周りに合わせるという選択。

もう一つは、「私は自分のセンスを信じてる」という理由で、好きなファッションを楽しむという選択。


前者を選択した「あなた」は「均質な個体集団」に入り、その個性は埋没します。

他の人たちと同じファッションですから、ファッションだけ見たら他人と区別できません。


後者を選択した「あなた」は「多様化した個体」の仲間入りです。

流行りのファッションは年々変化しますから、いつか「あなた」が最先端の時代が来る可能性があります。


「多様化した個体」とは、「他の誰か」でもかまわない人生ではなく、「あなた」でなければならない人生を生きる「個体」を意味します。


つまり、「あなた」の人生を紡いでいく日々の判断において、「他人の請け売り」などではなく、「自分の頭で考えること」が、「あなたの無意識」と「あなたの自我」を同じ方向に向かせることになると考えます。


これで、「ホルモン戦争」は終戦の時を迎えます。


それにしても、「自分の頭で考える」とは、何とも抽象的です。

ここまで緻密に考察してきた割には、「ダサい」回答です。

実は、この話には続きがあるのです。


「戦争」が「終結」すれば「平和」が訪れます。

その「平和」の先に、「あなた」は何を望んでいたのでしょうか?

「あなた」は「平和」の先に「幸せな未来」を見ていたはずです。


次回は「幸せ」について考察していきましょう。

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